不思議系父2

よー子

私の父は不思議で変わった人だ。

前回の不思議系父もぜひ読んでほしい。

今回は父の仕事の話。

父と話していると、「昔ハム屋で働いてた頃…」「昔八百屋で働いてた頃…」「六本木でスロット屋の店長していた頃…」など多くの職歴を振り返り、当時のエピソードトークをされることがある。

ちょっと待て我が父よ、一体何社転職してるんだ…!!??

この前実家に帰省した時に改めて職歴について確認してみた。

高校卒業後、東京の大学に進学した父は当時の時代の申し子らしく、麻雀三昧の日々を送っていた。

いよいよ就職せねばという時期、地元に帰り公務員試験を受けると両親(私の祖父母)に言っていたそうなのだが、公務員試験当日、父は地元に姿を現さなかった。

ちなみにこの話は祖母からも聞いたことがあって、「こんなに意気地のない男だったとは…」と落胆して当時を振り返っていた。

その後なんだかんだで地元には戻り、ダイヤモンドの加工製品をつくるメーカーに就職するも、細かい作業を繰り返すことが嫌になり転職。

親類のツテでペンキ屋に就職するもここもしばらくして転職。

※このくらいの時期に母のナンパに成功し、付き合いだす。

ハム肉の加工工場で働きだすも、ハムの加工に多くの添加物が使われていることが嫌になり転職。

母を連れて再び首都圏へ繰り出し、やんちゃな弟と共に八百屋で働き始める。

八百屋で働く傍ら、ビニ本も売っていた。母に売り子をしてもらっていたというのだから、やはり母もなかなかである。

※この頃兄が生まれる。

そしてそこから六本木でスロットマシン屋を始めるも、なかなか上手くいかず、知人のツテでパチンコ屋で働きだす。

※この頃私が生まれる。

母は振り返るとこの頃が一番充実していたという。子どもたちも幼く可愛い時期で、地元にも縛られずのびのび暮らしていたようだ。

フリーダムに生きてきた父だが、長男なのだからいつかは地元に戻らないと、という気持ちはあったようで、この後地元に戻り製麺工場で働きだす。

しばらくは働いていたが、社長と喧嘩したようで辞めた。

その後水道工事会社で働き、またしばらくはそこで落ち着いていたが、ある時期入札した工事が増えすぎて地獄の残業の日々が続いたようで、これはいかんと思い、別の水道工事会社に転職した。

この時母にあまり相談せずに転職したようで、かなり怒られたらしく、しばらく禊のため自発的に禁酒していた父。

…と、これでようやく父の職歴を語り終えることができた。

いや、壮絶すぎるだろ。よくそんなに転職する気になるなぁと逆に感心する。

父曰く、全然違う仕事に転職をする時、最初の3ヶ月はめっちゃしんどいらしい。全く勝手が分からないからと言っていた。

すごいな父。転職しない方がラクな気がするぞ父。履歴書の罫線が足りないぞ父。

だけど父は転職の道を選んで生きてきた。

そんなこんなで兄と私を育て切ったのだから素晴らしい。というか母もめちゃくちゃ大変だったと思う。感謝である。

私は父の紆余曲折とした生き方、良いと思う。だからこんなにユニークな父なんだ。普通の父じゃ物足りない。退職しても花束を贈られそうにない父がとても素敵だ。

他人が聞いたら理解できない感覚かもしれないが、分かりやすいエリートコースよりも、器用な生き方よりも、無駄があってとっ散らかっていてとっても良いと思う。

最後に、仕事が苦痛すぎる父のエピソードをお伝えして終わりたい。

私が高校生の頃、夕飯は大食いするのに朝食は少食な父に、どうして夜に比べて朝はあまり食べないのか聞いたことがあった。

父は、「今日はどんな嫌なことが起こるんだろうと思うと食べる気になれない」と呟いた。

未来ある10代の娘への実の父の言葉である。

私はそのとき『コイツ最高におもしれぇ…!!』と思った。

父は最高だ。

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